ゲーム交換日記
2019年6月
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KANON (2003/11/07) 文責:陣内

 ちょっと話題を増やしすぎてしまいました。今回はノベルゲームの続きでいきます。
 
 まず最初に、私自身がプレイしたノベルゲームは、片手の指にも満たない数です。それを最初にお断りしておきますね。
 
 以前ノベルゲームに詳しい人とお話をしていたとき、
     「小説一冊800円+音楽CD一枚3000円<ノベルゲーム一枚5800円
      それなのに我々がノベルゲームを買うからには、
      そこにゲームならではの付加価値がなければならない。
という話をされたのですね。これが今日まで頭の中をぐるぐると巡っていたのですが、自分の考えもやっと纏まってきました。
 
 結論としては、ノベルゲームはノベルであってゲームに非ず。突き放したような結論ですが、これを基に話を進めていこうと思います。
 
 ノベルゲームにあって小説にないもの。それは、音楽と選択肢ですね。まず音楽についてですが、これはその場面場面でもイメージを読み手に掴みやすくさせるもの。または、臨場感を与えるもの。つまり、小説の挿絵の役割だと思うのですね。特に、ノベルゲームで扱う題材は非日常的なものが多いですから、その雰囲気を与えるのにも音楽は一役買っていると思うのです。つまり、日常生活では音楽は聴こうと思わないと聞こえてこないから。そこに音楽があることで、これは現実とは違う空間なんだなと、読み手が認識できるのです。
 
 次に、選択肢ですが、これはテキストの分量を増やしているだけ。つまり、ノベルゲームの本質的な部分には選択肢は何も影響を与えていない、と思います。これはかなりの極論ですけどね。そんなことを言うと、「小説では自分の思い通りの選択をできないじゃないか!」と言われそうですが、実際読み手に先の話を選ばせる手法をとっている小説もあります。(死と乙女(赤川次郎))
 
 交換日記で出ていた白詰草話、選択肢を自動で揺れ動かせてから勝手に選ばせるような描写、阜サの方法として非常に面白いものだと思います。でも、本質的な部分(文章があって、挿絵がある)には影響を与えていないですよね。ノベルゲームの場合、挿絵(=絵、音楽、動く選択肢)の部分で阜サできることが多い、と結論してしまったのですがどうでしょうか。
 
 さて、さらっとお題のゲームに触れまして。このゲームについては有名なので敢えて説明するまでもないと思うので説明しません。登場人物の一人に「川澄舞」という女の子がいて、どういう子かというと、毎日夜の学校に出かけて行っては、自分にしか見えない魔物と戦っている、とこのゲーム中でも最も日常からかけ離れた設定です。さて、KANONはメインの女の子5人についてそれぞれテーマ曲があるのですが、舞のテーマ曲「少女の檻」、流れるような美しいメロディラインで、どこか寂しげなものも感じさせてくれる。舞の非日常性を上手に阜サしてくれる名曲です。
 
 私としてはノベルゲームの阜サ方法は既に完成していて、もうこれ以上進化することはないのではないかと思うのですが、どうでしょう?

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